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八坂神社(上庄祇園宮)

肥前鳥居

神楽殿


大人形・大提灯保存館と御神木

八坂神社は、安元二年(1176年)に 

宇都宮弥三郎の子、小太郎中次と重国が 京都の祇園宮より勧請、元は祇園宮と称していた。 

元和7年(1621年)に立花宗茂により社殿再建。 明治の神仏分離令により名称を八坂神社に変更。 

旧社格は県社。

八坂神社の祇園祭は、 

7月21日に献灯を行う「提灯ぞろえ」 (大提灯、県指定有形民俗文化財)

7月24、25日、県指定有形民俗文化財の神事 「大(おお)人形」が行われる。 

平安時代後期に奥州であった「前九年の役」で戦った 源義家と安倍貞任をかたどった

高さ約3メートルの 人形を並べて立てる。

股の下を通ると無病息災の御利益があるとされる。 

 大人形は初代柳川藩主・立花宗茂が関ケ原の戦いでの

敗北後、 棚倉(福島県棚倉町)を治めた時期に見た夢が由来。 

宗茂は夢で家康と合戦となったが、 同神社の神の仲裁で和議を結んだ。 

宗茂は柳川に再封された後、徳川家との平穏を願い、 

奥州で崇拝されていた2人を同神社に祭ることを 将軍家に願い出て許された。 

 大人形はこれを機に始まったと伝えられる。   

手水舎


八坂神社 拝殿

八坂神社 御祭神

素盞鳴尊、応神天皇、武内宿禰命

ご利益 

疾病退散、災難厄除け、家門繫盛など

新宮(高良玉垂宮)八坂神社に合祀 

御祭神:高良玉垂命、八幡大神、住吉大神 


ご利益 

厄払い・厄除け、開運、延命長寿、交通安全、芸能など

ライオンの木鼻

本殿右側

本殿左側

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招魂社(祖霊社)


明治維新前後、また以降に国家のために殉難した英霊を奉祀している。


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新宮(高良玉垂宮)鳥居


屋須多神社




えびす像



屋須多神社 拝殿


ここは筑後地方に多く鎮座する屋須多神社の総本宮です。 

御祭神 屋須多神(火難除けの神)

合祀 

罔象女神(灌漑用水・井戸の神) 

国狭槌命(集落を守る神)

龍の木鼻



屋須多神社 本殿

本殿右側 脇障子の彫刻


御神木

聖天宮

歓喜天 (大日如来もしくは観自在菩薩の権化身)

ご利益 

夫婦円満、恋愛成就、富貴栄達、除病除厄、除災加護など

納 堂

住吉神社

御祭神 

底筒男命、中筒男命、表筒男命

ご利益 

航海安全、海上安全、渡航安全、 歌人がよい歌を詠むための祈願など

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住吉稲荷神社

御祭神 

宇迦之御魂大神

ご利益 

食物、農業、殖産興業、商業、屋敷など 福徳開運、商売繫盛

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高光稲荷神社



御祭神 

宇迦之御魂大神

ご利益 

食物、農業、殖産興業、商業、屋敷など 福徳開運、商売繫盛

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五社宮




鎮座地 

福岡県みやま市瀬高町上庄163


五宮神社(五の宮神社)


慶安元年(1648)に3代藩主 鍋島直朝が寄進した肥前鳥居



五の宮神社は、 

元明天皇の和銅二年(709)八月、 

奈良県 丹生川上神社の分霊を奉移し建立と伝えられ、 

塩田川上流の嬉野市塩田町宮元にある丹生神社と同じく 

水象女命(罔象女神)が祭神です。 


塩田川水系の治水鎮護のため奉祀して、丹生神社から5社目? また伊弉冉命の5子にあたるので、

五宮神社の社名になったそうです。  

私は、五柱の神を祀っているので五宮と思ってました。

手水舎



鹿島藩歴代藩主の信仰もあつく、

「鹿島誌」などの記録には、 江戸時代は水害や干ばつの雨乞い、 疫病に霊験があるとして、 

近郷の農民達に崇敬されました。 


現在でも北鹿島地区の氏神であり、 

 毎年10月の第3日曜日に獅子舞の奉納と神輿の行幸が行われます。 

旧社格:村社

御祭神 

罔象女神(水の神)、軻具土神(火の神)、句句廼馳神(木の神) 

埴安媛神(土の神)、金山彦神(金の神、鉱山の神)


本 殿

本殿右側の末社  

八大龍王、辨財天、水神、天満宮など


天満宮

御祭神:菅原道真公

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鹽竈神社

この丘上は、天正4年(1576)龍造寺隆信が 神埼郡の犬塚盛家(鎮家)を藤津地方に送り込み、 

 当時、藤津地方に勢力を持っていた有馬氏の 討伐に先立って築かせた砦跡(森岳城)です。


鹽竈神社は、永禄二年(1559) 宮城県 鹽竈大明神の分霊を祀った。

御祭神:鹽土老翁神

ご利益 

漁業・農業・製塩業守護、 地域開発、海上安全、延命長寿、安産など

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本殿左側の境内社 稲荷神社

御祭神:倉稲魂命(五穀豊穣、商売繁盛の神)

本殿左側の末社 土神、水神、大山宮など


鎮座地 

佐賀県鹿島市大字森1385  

明神池名水公園 

「明神池かっぱ伝説」に因み、男河童の帰りを待ち続け、 

哀しみの中でも希望を持ち続けた女河童の姿を、 

河童石の上によみがえりらせたものです。 

明神池の湧水 

明神池の湧水は南阿蘇湧水群の一つで、 平成の名水百選にも選ばれています。 

その昔、子宝に恵まれない当時の城主がこの湧水で身を清め、 

この池を望む丘にある「群塚神社」の誕生石に祈ったところ 

子宝に恵まれたという話が残っています。 

明神池の湧水を飲むと安産、子宝に恵まれるという話から、 「誕生水」と呼ばれています。 

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群塚神社(むれづかじんじゃ) 

由緒 

創建年代は不詳 天正年間、 当地区に吉田城があり、城主には子がなく、 

この水源で身を清め、 境内にある誕生石に願いをかけられたところ、 

 子宝に恵まれました。 


しかし、産後の肥立ちが思わしくなく乳が足りず、 

日に日に痩せ細る子どもに困り果てた奥方は、 

境内にあるいちょうの木に乳房のように垂れ下がっている気根を撫でられた

その日から病気も回復し、乳の出もよくなり、 それ以来現在もなお、

婦人の参拝する信仰が残っております。 


また、日本最後の内戦である明治10年の西南の役で、 

会津藩家老佐川官兵衛は当地区長門屋の座敷にて 

南郷有志隊と薩摩軍に対する作戦会議を行い、 この水で身を清め、

当群塚神社に必勝を祈願された事実が残されています。 

旧社格:村社 

御祭神

水波能女命、国常立尊、国狭土尊 

御利益 

安産、子授かり・子宝、五穀豊穣、祈雨・止雨、国土安泰、 

開運招福、出世、悪霊退散、厄除け、商売繫盛など 

本 殿

御神木 

吉田城城主が子宝に恵まれる様祈願した誕生石 

鎮座地 

熊本県阿蘇郡南阿蘇村吉田1418

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塩井社水源 

神社のすぐ北側にある夜峰山(よみねやま)の地下を通って境内に湧き出す水は、

毎分5トンと豊富で、 古来より「お汐井様」「おしおいさん」と崇められ、 

「不老長寿」「諸病退散」の御神水として尊ばれてきたそうです。 

水源から流れ出た豊富な水は灌漑用水や飲料水に利用され、 

塩井川として白川に注がれていきます。 


この塩井川は南阿蘇で唯一西から東へ流れる川として知られ

「ノンボリ(上り)川」とも呼ばれているそうです。 

「夜峰山」は、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の妻  

阿蘇津姫命(あそつひめのみこと)が出産の際、 

 姫が身を隠せるように一夜で築き上げたという神話が 残されているそうです。 

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塩井神社 

創建は平安朝期とされています。 


塩井神社は、文禄2年(1593年)までは 

南郷谷総鎮守八坂神社の夏大祭の御神幸の社とされていました。 


当時は塩井神社に一泊の後、 翌日御本殿(八坂神社)に還幸されていましたが、 

天正年間(島津勢の当国侵入)の兵乱により 塩井神社への神幸は廃絶されたと伝わります。  

御祭神 罔象女神(みつはのめのかみ) 

ご利益 

祈雨、止雨、治水、商売繁昌、子宝、安産、五穀豊穣など 

本殿右側 

本殿左側 

鎮座地 

熊本県阿蘇郡南阿蘇村中松1655 


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小倉原菅原神社 

創建年代、由緒不詳 

旧社格:村社 

御祭神:菅原道真公 



青面大金剛(しょうめんだいこんごう)石碑 

猿田彦大神石碑 

鎮座地 

熊本県阿蘇郡高森町色見229


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色見熊野座神社 

水神様? 

上色見熊野座神社と並び、 高森町の四大熊野座神社の一つとされています。 

享保7年(1722年) 

「上色見熊野座と分離し上色見の穿戸社の分霊を奉置す」 

 と社記にありますが、

鎌倉時代前後より存在した由緒ある社地であったようです。 

手水舎 

拝 殿 

御祭神 

伊邪那岐命、伊邪那美命、石君大将軍(健磐龍命の荒魂) 

御利益 

縁結び、合格・必勝、商売繁盛など 

本 殿


本殿左側の境内社        

                         金刀比羅宮        愛宕大権現          塩釜宮

御神木(夫婦杉?) 


鎮座地 熊本県阿蘇郡高森町色見2649



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妙見神水 

階段を暫く下ります。 

 社殿の屋根が見えてきました。 下り宮です。 

この湧き水は今から約4億年の昔、  九州島発祥の地、祇園山の石灰岩層洞窟から、

妙見神社の一角に湧き出している湧水は「四億年の雫 妙見神水」と呼ばれ、 

古くから「授乳の神水」と伝えられ、平成の名水百選にも選ばれています。 

1日の湧水量:14,400トン 

湧き出た水が川のようになって流れています 


「妊婦が飲むと丈夫な子供が授かり 母乳の少ない人が飲むと乳が良く出る」 

と伝えられています。 

妙見神社

貞観11年(870年)清和天皇時代に建立され、 

水神様として崇められていたと伝わります。

鎮座地 

宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡5640

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村山祖母神社 

『村山祖母神社』は、 

第六十代醍醐天皇の延長5年(927年)9月19日、 

阿蘇大宮司友仲公により創建されました。 

御祭神は 阿蘇二の宮である 

阿蘇都媛命(アソツヒメノミコト)を主神とし、 

国土創の功あった御一族の神々九柱の神霊です。 


阿蘇都媛命は初代 阿蘇大宮司 惟人命の祖母にあたることから、 

「祖母神社」と称されます。 

参道には樹齢約350年の大杉が立ち並んでいます 

手水舎 

御塩井碑 

龍頭付手水鉢 

拝 殿 

旧社殿は創建当時のものでしたが、 

大正4年(1915年)3月1日、火災のため焼失しました。 

御祭神

阿蘇都媛命 


配祀 

國龍命・比咩御子神・若彦命・彦御子命・新彦命 

新比咩命・彌比咩命・速瓶玉命・豐磐窗大神・櫛磐窗大神 

社殿右手前には樹齢約300年の御神木(イチョウ)があります 

御神牛 

社殿右側にある境内社(天満宮?) 

御神像 

本 殿 

社殿左側、境内社:年祢宮 

御神像 

境内社:八幡宮 

鎮座地 

熊本県阿蘇郡高森町高森2556 

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熊野鳴瀧神社 

300段近い急な石段 

熊野鳴瀧神社(くまのなるたきじんじゃ)の 創建は定かではありませんが、 

古伝によれば河内村の有藤氏の祖、 栄四郎が 紀州の熊野の神社をあつく信仰し、 

本村に勧請したいと熊野本宮に、 7年の間参詣し続け、 

 河内の総鎮守として奉斎したという言い伝えがあります。 


しかし、棟札によると  八十八代後嵯峨天皇の乙巳(1269年?) 八月二十八日、 

 三田井井城主、大神高千穂太郎が 造立したとも伝えられており、一定しません。 


その後、宝暦八年(一四五六年)社殿を炎焼しましたが 

同十年(一四五八年五月)再建しました。 

 文化三年(一八〇六年)六月に再建され、明治九年五月に改築しました。 

神楽殿

拝 殿 

『日向地誌』によると、

旧川内村には熊野三社権現、鳴滝六社大権現、 北野天満宮の三社があり、 

明治4年にそれぞれ 中川内神社、上河内神社、下川内神社と 改称して村社となりました。 


明治四十年、この三社を中川内神社に合祀して、 熊野鳴瀧神社と改称しました。 


熊野鳴瀧神社上宮の奥に「熊野鳴瀧神社上宮滝」があり 

昔から牛馬の守護神として知られ、戦前までは村内の崇敬者はもちろん、 

大分・熊本の人々がこの滝の水を牛馬に与え、安全と繁栄を祈念しました。

御祭神 

伊弉冊尊(イザナミノミコト) 

速玉男命(ハヤタマオノミコト) 

事解男命(コトサカオノミコト) 

山幸彦(彦火火出見尊ヒコホホデミノミコト) 

豊玉比売尊(トヨタマヒメノミコト) 

玉依比売命(タマヨリヒメノミコト) 

鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト) 

吾平津比売尊(アイラツヒメノミコト) 

神武天皇(神日本磐余彦尊カムヤマトイワレヒコノミコト) 

素戔男尊(スサノオノミコト) 

菅原道真公(スガワラノミチザネコウ) 

宇気母知命(ウケモチノミコト) 

ご利益 

縁結び、子孫繁栄、家内安全、武運長久、 厄除け、病除け、牛馬の守護など 

本 殿


神輿は5台あり、 春祭には河内の町を練り歩くそうです。

鎮座地 

宮崎県西臼杵郡高千穂町大字河内32-2   

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嶽宮神社 

手水舎 

高千穂町押方二上嶽鎮座 二神大明神(二上神社)の外宮として 

昌泰3年(900年)に勧請され、嶽の宮岳大明神と称した。 

天文八年(1539)領主三田井越前守親武が再建、 

また同十八年(1549)二月十八日藤原朝臣甲斐若狭守鑑昌が 社殿の建立を終っている。 

元禄四年(1691)藩主有馬氏から神領五斗が寄進され、 

その後寛政元年(1789)十二月五日社殿再建された。 

明治六年(1873)本組神社、 昭和四十四年に嶽宮神社と改称して今日にいたっています。

旧社格:村社

拝 殿

御祭神 

伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冉尊(いざなみのみこと)


御利益 

縁結び 夫婦円満  絵画など 

本 殿

 鎮座地 

 宮崎県西臼杵郡高千穂町押方325              

三ヶ所神社(さんがしょじんじゃ)

三ヶ所神社は古くから二上山天孫降臨の聖地の山岳信仰に関わる神社です。 

男岳と女岳の二つの頂をもつ二上山(標高1060m)の 

男嶽の9合目に奥宮があり二上山を御神体とする。 


今は里から祀ることが出来る様に現在地に移転。 

伝承によると、三ヶ所神社は、 平安時代昌泰三年(900)に創建されたと伝えられる

旧社格:郷社 

拝 殿

御祭神 

伊邪那岐命、伊邪那美命 


合祀神 

瓊瓊杵尊、猿田彦命、菅原道真公 


ご利益 

夫婦和合・縁結び、脳活性化 方除け・交通安全、学問成就など 

旧本殿 

本殿は、文政元年(1818年)に建立。

当時の延岡藩主の篤い信仰から豊後の宮大工棟梁牧彦兵衛以下15名が招かれ 

後の世に伝わる見事な社殿彫刻がほどこされました 

牧彦兵衛は京都九条家出入りの名工と伝えられています 

本殿には74体の彫刻があり、

特に龍の彫刻は 日光東照宮の龍にも匹敵すると云われる。 

本殿左側 降龍の彫刻 

龍虎の彫刻 

脇障子の中国司馬遷の史記物語 「潁川に耳を洗う」 

本殿裏 

脇社

脇社には、【東方朔、王子喬、張果老】 三人の仙人の彫刻が施されています。

 昇龍の彫刻 

龍の彫刻 

本殿正面の海馬2体の彫刻は全国八万数十社 ある神社で三社しかないと云われています。 


鎮座地 

宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町三ヶ所8736          

        

鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)吾平山陵伝説地 




通常は吾平山陵の前まで車で行けるのですが、 道路の舗装工事で通行止めだったので、

この参道から向かっています。 

吾平山陵は天孫 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の孫、 

鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の御陵墓と伝えられています。 

日本書紀に 「鸕鶿草葺不合尊は玉依姫を妃となし、   

彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、神日本磐余彦尊(後の神武天皇)をお生みになり、

久しい後に西洲の宮におかくれになった。   

それで、日向の吾平山陵(あひらやまのうえのみささぎ)に葬った」 と記されています。


吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)の伝承の地は南九州各地にあり、 

宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山に治定されていますが、 

日向国の人々からの反論が強く、 国学者や宮内庁の調査によって、 

鵜戸神宮背後の速日峯山上が 「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。 

また、ここ高千穂町の吾平山陵とする説もある。

 古い文献には前方後円墳とありますが、 

 現在では、2基の円墳(高千穂11・12号古墳)と 考えられています。 

この附近一帯には、 縄文時代後期の陣内遺跡をはじめ 円墳、横穴墓があります。 

古くから神話の里 高千穂を代表する大切な御陵として祀られており、 

毎年四月一日に祭典が行われています。  


宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井 


  




祐徳稲荷神社 

祐徳稲荷神社の参道には門前商店街があります。 

ここにはお土産屋や食事処などのお店が立ち並びます。 

伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷の一つに数えられ、 

衣食住、生活全般の守護神として、 商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されています。 

別名『鎮西日光』と称される。 

手水舎

由緒 

鹿島藩主鍋島直朝夫人で、 後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛(まんこひめ)が、 

朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。 

萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。 

貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、 萬子媛自ら奉仕していたが、 

宝永2年(1705年)、 石壁山窟の寿蔵にて、断食して入定を果たした。 

以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、 

祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。 

明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称した。 

その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、 

萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。 

非常に立派な楼門は、 日光東照宮の陽明門を模したものだそうです。 

楼門内の随神は 佐賀県伝統工芸の有田焼で仕上げられています。




岩崎社(いわさきしゃ) 

縁結びの神様 岩崎大神


 神楽殿

風 鈴

御祭神 

倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ) (衣食住を司り生活全般の守護神) 

大宮売大神(オオミヤノメノオオカミ・天細女命) (技芸上達の神、福徳円満の神) 

猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ) (水先案内の神、交通安全の神)

ご利益 

商売繁盛、家運繁栄、縁結びなど、 さまざまなご利益が得られるそうです。


鎮座地 

 佐賀県鹿島市古枝乙1855 


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丹生神社(たんじょうじんじゃ) 

丹生神社は、

奈良県吉野郡(大和国吉野郡丹生村長谷)鎮座の

丹生川上神社より分霊されました。 

神楽殿

手水舎



元明天皇の御代和銅2年(709年)社頭造営の勅許を得て、

塩田郷馬場下村妙音山(現社殿裏)の山上に 仮宮を創建されたことに始まる。 


仁明天皇 承和2年(835年)、 

奈良県吉野郡鎮座の丹生川上神社より分霊され、 

肥前国塩田郷に御遷座し馬場主殿を神主とし、 

今日迄に至っている。 


 御祭神は、「罔象女大神」を奉斎し、 

往昔は藤津の宗廟として、朝廷の尊崇深く、 

広く塩田川流域住民の安寧と五穀豊穣の守護神として、 

久しく崇敬されてきました。 

塩田川沿いの丹生神社の総本社。 

旧社格:郷社

神 馬


拝 殿




御祭神 

罔象女神(みつはのめのかみ)

御利益 

祈雨、止雨、治水、農耕守護、商売繁昌、子宝、安産など


拝殿の天井絵




本 殿


本殿裏


鎮座地 

佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲3657-3 



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