美奈宜神社(荷原)
美奈宜(みなぎ)神社は、
朝倉市の荷原(いないばる)地区にある神社です。
第14代 仲哀天皇は、山口県長門一の宮から、
筑紫方面へ軍を進めていたが途中病気で急逝。
しかし神宮皇后はこのこと秘めて武内宿祢等を從えて
敵対する「羽白熊鷲」を討つため小山田邑を軍立ちされた。
当時熊鷲は、白髪山(古處山)を本城として良民を苦しめていました。
神宮皇后は喰那尾山頂の地で陣を敷き、これを討ちました。
そこで、賊の大将を討つ事が出来たのは、
出発の時、小山田邑でお告げをうけた「三神」の助であるとして、
三奈木川のほとり「池辺」の地に「神籬」を立て、戦勝奉告をされた。
後に仁徳天皇(神宮皇后の孫)の勅願により
「池辺」の地に神社を建造したと伝わっています。
これが美奈宜神社のはじまりとされています。
数度の遷宮を経て、
天正2年(1574年)の秋月種実(たねざね)が領主を務める時に、現在地へ移りました。
式内社・美奈宜神社の論社。
貞観元年正月廿七日(西暦859年)「從五位上」と云う位を給う。
之は「三代実録」の文中に見える。
又延喜式十巻神名帳(西暦 920年頃の書)に
「筑前国下座郡美奈宜神社三座」名神大と記載あり
御祭神
天照皇大神、住吉大明神、春日大明神
相殿神
神功皇后、武内宿禰
鎮座地
福岡県朝倉市荷原2417-1
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