八幡様の親神様【香椎宮】福岡県福岡市

【香椎宮】 由緒 

香椎宮は『日本書紀』『古事記』によると、 

仲哀天皇8年に天皇は熊襲征伐のための西征で 

筑紫の行宮の橿日宮(かしひのみや、記:訶志比宮)に至ったが、 

仲哀天皇9年に同地で崩御しました。 


その後、 神功皇后(気長足姫尊)は神のお告げを受けて、海を渡り新羅を平定され、 

凱旋後、仲哀天皇九年、神功皇后みずから祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀ったのが起源です。 

 

神功皇后の宮は 元正天皇の養老七年(723)に皇后御自身の御神託により、 

朝廷が九州に詔して社殿の造営を創め 聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、 

此の両宮を併せて香椎廟と称しました。 


明治以来には官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称してます。 


神功皇后は凱旋後、宇美にて皇子、 後の八幡大明神・応神天皇様(誉田別命)をお産みになられます。

八幡信仰は、後に源氏の氏神・戦神として全国広く信仰されます。 

そのため香椎宮は八幡様の親神様といわれています。 


御祭神 主神   

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)   

神功皇后(じんぐうこうごう) 


御神徳 

国家安寧、世界平和、家運隆昌、外交、 子授け、安産育児、芸能上達、土木治水 など


配祀神   

応神天皇(おうじんてんのう)   

住吉大神(すみよしおおかみ) 


御神徳 

国家繁栄、厄除け開運、武運長久、成功勝利、 清祓、除災招福、海上安全、交通安全 


本殿 

重要文化財香椎造と称し我国唯一の建築様式で現在の御本殿は 

享和元年(1801)筑前藩主黒田長順公の遵式縮小の再建です。 


綾杉「あやすぎ」。 

中門前の広場に立つ神木。 

「綾杉」の木名は、杉の葉が交互に生える様を綾に例えたことによる。 

神功皇后が三韓征伐から帰国した際、剣・鉾・杖の三種宝を埋め、 

鎧の袖に挿していた杉枝を本朝鎮護祈願で植えたものという。 

太宰府に任じられた者は、 

香椎宮に参拝して神職からこの杉の葉を冠に挿してもらうのが 習わしだったそうです。 

鎌倉時代に編集された「新古今和歌集」の中から 綾杉の歌がひとつ見えます。 

ちはやふる 香椎の宮の あや杉は 神のみそきに たてる成けり 


 古宮「ふるみや」 

本殿から北東方に所在する。 

仲哀天皇の営んだ仮宮「橿日宮(訶志比宮)」の伝承地で、仲哀天皇の廟跡と伝える。 

大正4年(1915年)までは仲哀天皇を祀る祠が存在したが、同年に本殿に合祀されている。 

玉垣内には、仲哀天皇の棺を掛けたという御神木「香椎」 棺掛椎(かんかけのしい)が立つ。 

付近には「仲哀天皇大本営御旧蹟」碑も建てられている。 


不老水(ふろうすい) 

「不老水」は本殿の北300mほど山手にある 香椎宮の飛び地である

「不老水大明神」の境内に湧く湧水であり、「御飯の水」「老の水」とも言われていたが、 

天平宝字2年(758年)に井戸が補修された際に 「不老水」と名付けられた。 


仲哀天皇、神功皇后に随侍していた、時の大臣の武内宿禰が、 

香椎の地でこの水を朝夕汲み取って天皇への炊飯用や、 

酒を作るのにこの水を使ったとされる湧水で、 

そのおかげで300歳とも360歳ともいわれるほど 長寿だったという由来がある。

一帯は武内宿禰が居住した地として「武内屋敷跡」と称される。 

この不老水は、毎年正月に綾杉・椎茸とともに皇室に献上される。 

昭和60年(1985年)には名水百選に選定された。 


鎮座地 

福岡県福岡市東区香椎4-16-1