御勢大霊石神社
御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)は、
神功皇后 摂政2年創立。
社記・伝説によれば第14代仲哀天皇は熊襲征伐に当り、
筑前国 橿日宮(かしいぐう)の本陣より此の地に軍を進められ
大保の里が白州で清浄であったので天神地祗を祀りこの地に行宮を設けた。
仲哀天皇が戦線を巡視した時に敵の毒矢に当たり、
この地で崩御されたと伝わっています。
神功皇后は兵士の士気の衰えることを恐れて喪を秘し、
熊襲征伐の後、橿日宮(香椎の宮)で発喪しました。
その後朝鮮出兵にあたって、
御魂代の石を軍船にのせ仲哀天皇の鎧と兜を着せて征途につき、
戦勝後凱旋すると、その石を天皇の御魂代として、甲冑と衣裳を納め、
三韓鎮撫の神として祀ったと伝えられています。
延喜式内社 筑後国四社の一つ
御勢大靈石神社(みせのおほたまいしのかみのやしろ)
に比定されている古社です。旧社格:懸社。
筑後国四社一小社
御祭神
主祭神:足仲彦大神(十四代仲哀天皇)
副祭神:天照皇大神 八幡大神 春日大神 吉富大神(七三八年の創建者)
社伝によると、
欽明天皇の9年、天武天皇の9年、宇多天皇の寛平3年、鳥羽天皇の天永3年、
高倉天皇の安元2年の5期にわたって造営があり、多くの神領が寄進された。
その後たびたび兵火にかかり社殿・神宝などを焼失した。
鎮座地
福岡県小郡市大保字龍頭1032
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