天降天神社・須多田天降天神社古墳
天降天神社は、天降神社とも記されます。
慶長初期(1600年)までは、天守天神社と表記されていたようで、
明治以降に今の社名になったそうです。
また、「天」が入っても入らなくても
「あまふりじんじゃ」と読むそうです。
御祭神
少彦名命(すくなひこなのみこと)
『筑前國續風土記拾遺』によれば、
この神社のご神体は現在の拝殿の裏にある小高い宮山(古墳の後円部)にあり、
須多田地区の産土神として、少彦名命(すくなひこなのみこと)をお祀りしています。
拝殿裏の古墳のまわりには壕が巡らされ、
その壕を取り囲むように土堤が築かれ、四方に門の跡もあり、
まるで城跡のようだとあります。
古墳からは、王墓のみから出土する円筒埴輪と装飾器台等も発見されたそうです。
また、須多田の地名はこの古墳の被葬者のことを指すものと思われ、
被葬者はいずれも宗像族(簾長者)にして大和政権と深いかかわりをもつ人物の墓である。
と天降天神社の由来板には記されています。
須多田天降神社古墳
津屋崎には前方後円墳が20基確認されています。
その中でも全長83mと最大級の大きさを誇るのが
この須多田天降天神社古墳です。
鎮座地
福岡県福津市須多田511
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