【千田聖母八幡宮・八嶋八柱神社】
●千田聖母(ちだしょうも)八幡宮
反正天皇三年(408)神託により聖母大神宮として勧請し、神功皇后を祭祀した。
後世、宇佐八幡宮(応神天皇、仲哀天皇)を合祀、千田聖母八幡宮と称す。
其の後朝廷の崇敬厚く、五十代桓武天皇御宇
延暦八年(789)神殿、拝殿、楼門、連歌堂、御祈祷所、廻楼、仁王門、末社、
市、二、三、鳥居勅命にて造営。
建久二年(1191)源頼朝公、各殿宇を改築られしが、
天正三年(1575)七月十三日兵火により灰燼になる。
その後、天正十年(1582)薩州之守嶋津(修理太夫)義久公、
桜田参河守を建築奉行として再建した。
また、菊池家及び細川家の崇敬が厚かった。
主祭神:神功皇后
相殿:應神天皇・仲哀天皇
●八嶋八柱神社
★八島伝説
第十二代 景行天皇の御代、熊襲征伐のため筑紫にお下りの節、
玉名から菊池川をさかのぼり阿蘇に向かわれる途中、
山鹿に着かれ、この附近の賊を退治されたそうです。
その時、鹿本平野は、茂賀浦といわれる湖で、
その湖の南の湖中に八ツの光が昼夜を問わず見え、
湖の中から「寒・言・神・尊・利・根・陀・見」と変な鳴き声が聞こえるので、
天皇を迎えていた阿蘇大明神が鍋田川岸の岩石をけ破り、
水を流したところ、泥海の中から八つの頭を持つ大亀が現れ、
やがてその大亀は天に昇り、八神の姿となった。
そこで天皇はこの亀にかたどり、八つの島を設け、
八神を祀られ、熊襲退治を祈願したそうです。
また、「熊本県神社誌」には、
「往古この辺は茂賀浦と称する一帯の湖であったが、
神功皇后朝鮮出兵の途につき香椎の宮にます頃奇瑞あり、
ここに八神を祀り戦勝を祈願せられたと伝える。」
とあります。
御祭神
高皇産霊日神、神皇産霊日神、玉皇産霊日神、生白産霊日神、
足皇産霊神、御食津神、事代主神、大宮賣神
鎮座地
熊本県山鹿市鹿央町千田
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