向津媛(瀬織津姫)【田手神社(太神宮)】佐賀県神埼郡吉野ヶ里町

田手神社は、 約千三百年前、杉野隼人が願い出ること三十三回にて、 

天智天皇筑後に暫く皇居された時、清浄晴沙の地を選んで、 

この地に皇太神宮、撞賢木厳之御魂向津媛命(天照皇太神宮)を勧請し、 

荘厳な 一宇を建立された。 


その後、時代の変遷と共に、 一時荒廃を招いた事もありますが、 

亀山天皇の文応元年(1260)に至り、 第九代当主 杉野十郎熙伝は神夢をさずかり、

伊勢神宮(三重県)より神璽、瑤鏡、宝剣の三種の神器を賜り 神社再興を果たした。 


天丈の頃、疱瘡(ほうそう)大流行の時、多くの人が悩んだときも、 

御神徳により平癒した者が多かったので疱瘡(ほうそう)神として 霊威が諸国に伝わり、

遠方より参詣する人が多く、 神前市をなす程であった。 


その後明治四十二年 大字田手内の天満宮、八幡宮、若宮社等六社を合祀し、

応仁天皇、管原道真、仁徳天皇を祭神(追加)とし今日に至っている。 


その御神徳は、 家内安全、病気平癒、学業成就、安産、商売繁盛、 交通安全等多方面におよび、 

現在では健康太神宮として親しまれている。 


御祭神 

撞賢木厳之御魂天疎向津媛 (つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ) 


合祀神 

応神天皇、管原道真、仁徳天皇 


向津媛は『ホツマツタエ』では瀬織津姫の別名とされ、 

廣田神社(兵庫県西宮市)では、 天照大神の荒御魂(戦前の主祭神は瀬織津姫) 

として祀られているため 向津媛は瀬織津姫と同神とされています。


鎮座地 

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1527