脊振山は、 佐賀県と福岡県の県境に位置する標高1055mの山で、 脊振山地最高峰の山です。
一説では 七福神の紅一点である弁財天を乗せて天竺から飛んできた龍が、
脊振山の上まで来て天に向かって三度いななき、背中のギザギザした背びれを打ち振ったから
「脊振山」と名付けられたと伝えられています。
脊振神社(せふりじんじゃ)は、
標高1055mの背振山頂上に鎮座する上宮と、 中腹に鎮座する下宮からなっています。
日本六所弁財天(にほんろくしょべんざいてん)の一社で
「脊振弁財天」と称される創建の年代は不詳ですが、
神功皇后が新羅征討の節、海上安全祈願のため、
田心姫神(たごりひめのかみ)、 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
湍津姫命(たぎつひめのかみ)の三神を奉斎したのが 創祀と伝えられています。
仏教が渡来すると、 市杵島姫命を始めとする三柱の神と弁財天が習合し、
唐へ渡った空海や最澄、円仁、円珍、 宋に渡った栄西など多くの人々が入山して
航海の安全を祈願したと伝えられています。
最盛期には 「背振千坊(せふりせんぼう)・嶽万坊(たけまんぼう)」と呼ばれ、
山岳仏教の一大拠点として栄えました。
『日本三代實録』の貞観12年(870)5月29日の条に 神階を授かったことが記されています。
その前後の貞観年中(859-877)厳寒積雪の中、 脊振山頂上で祭祀を執行うことが困難なため
下宮が建てられたとされています。
下宮には、神使とされる白蛇が、 石窟に住んでいることから尊崇され、
「はくじゃさん」とも称されています。
その白蛇神社は、
今も境内社の白蛇弁財天として奉斎されています。
神仏習合の昔は、 同一境内に下宮と多聞坊東門寺が並び立っていましたが、
明治期の廃仏毀釈を受け、社僧衆徒とを廃することとなり、 白蛇神社と改号。
明治6年(1873)2月21日郷社に列せられ、
脊振神社となりました。
今も神仏習合の姿を残す日本六所弁財天の一社として、
五穀豊穣、開運、財運の神様として九州一円から崇敬を集めています。
御祭神
田心姫神、市杵島姫命、湍津姫命、弁財天
合祀された祭神
大山祇命、菅原道真、武内宿禰、吉備彦神、仁徳天皇、 水田兵庫守、科長津彦神、科長津姫神、
猿田彦神、大国主神、 高經之霊、少彦名神、日本武尊、忍穂耳尊、厳島姫命、 多紀理毘賣命、
多紀都毘賣命、狹依毘賣命、水波米命、手力雄命、 応神天皇、平将門、豊磐窓神、比咩神、
八咫烏神、源義經、 十城別王、忍骨命
境内社
印鑰神社 御祭神:大己貴命
白蛇神社(白蛇弁財天) 御祭神:富主姫神
鎮座地
佐賀県神埼市脊振町服巻1455
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