妙見神渡来の地【竹原神社】熊本県八代市

【天之御中主神】妙見神渡来の地【竹原神社】

由緒

この地は、妙見神が渡来した竹原の津跡と考えられています。


「肥後国誌」などによると、天武帝白鳳9年(680)の秋、

中国明州(寧波)から妙見神が眼深検校・手長次郎・足早三郎の三人に姿を変え、

亀蛇の背に乗って海を渡り、この八代郡土北郷八千把村竹原ノ津に上陸し、

約3年間仮座したと伝えています。


その後、天武帝白鳳11年(682)益城郡小熊野村の千代松が峯に移って鎮座し、

さらに天平宝字2年(758)に八代郡土北郷横嶽ノ峯に移り、

その地に妙見上宮が創建されました。


その由来により、この地に妙見神を奉り、竹原妙見宮と呼ばれました。


文治2年(1186年)、

後鳥羽天皇の時代に現在の宮地妙見宮が建てられたのに続いて、

竹原妙見宮が建てられたと伝えられています。


天正16年、小西行長の兵火にかかり焼失。

後、加藤清正によって再建されました。


そして、明治元年(1868)に神仏分離令が出されたため、

明治4年(1871)に竹原妙見宮から竹原宮(現在の竹原神社)となりました。


御祭神:天之御中主神


鎮座地

熊本県八代市竹原町2225

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