高城神社
高城神社(たかしろじんじゃ)は、
長崎県諫早市高城町の諫早城址(諫早公園)に隣接して鎮座する神社です。
第12代諫早藩主・茂洪公(しげひろこう)により天保13年(1842)
城山(現在の諫早公園)頂上に高城明神として祀られたものを
明治15年(1882年)庶民の寄付により
本明川河畔(現在の高城公園)に移され、創建されました。
昭和32年の諫早大水害で大破したため、昭和35年に現在地に移築されました。
旧社格:懸社。
御祭神:龍造寺家晴公(りゅうぞうじいえはるこう)
配祀:菅原道真公
御祭神の諫早初代藩主・家晴公(1555~1613)は、
天児屋根命の末裔・藤原鎌足公の八代目・俵藤太秀郷公の25代の子孫にあたる。
また、家晴公の嫡子・第二代藩主・直孝公が姓を龍造寺から諫早に改め、
現在の地名に至っています。
若杉霊神
寛延3年(1750)佐賀藩は藩財政の立て直しと
諫早領主の不調法を理由に諫早領内の4千石を没収された為、
度重なる佐賀藩の圧政に耐え兼ねた領民たちは、佐賀藩に反旗を翻し決起。
若杉春后は「諫早の百姓騒動」と言われるこの騒動の先頭に立ち、
長崎奉行、日田代官、大坂城代を通じ事の真意を
幕府に訴えようとしましたが、佐賀藩の知るところとなり、
若杉春后ら指導者は捕らえられ、佐賀で処刑されました。
17年後の明和4年(1767)に没収した4千石を、
佐賀藩祖鍋島直茂公の150年祭の供養という名目で返還されたので、
このことは若杉春后らが一命を賭して働いた賜物であるとして、
第11代領主諫早茂図公は遺徳をたたえ、「若杉霊神」を建立した。
鎮座地
長崎県諫早市高城町1-5
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