霧島六社権現【霧島岑神社】
霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)
創建年代は不明ですが、天孫降臨から日向三代に
関わりの深い神社とされています。
「続日本紀」 に「平安時代初期の仁明天皇承和4年、
日向国諸県郡霧島岑神社は官社に預かり、
のち従五位を授けられた」と記され、社の名が記されているほど、
古く由緒のある神社です。
村上天皇の時代(平安時代中期)に
霧島山などで修験道の修業を行った性空上人によって
整備された霧島六社権現のひとつ。
霧島六社権現とは、
宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある以下の6つの神社の総称です。
霧島神宮・霧島岑神社・霧島東神社・東霧島神社
狭野神社・夷守神社 (明治時代に霧島岑神社に合祀)
当初は高千穂峰と火常峰(ひのとこみね、御鉢の旧名)
の中間地点「背門丘(せとお)」にあったが、
度重なる噴火により、たびたび社殿などが焼失。
享保14年(1729年)夷守岳中腹に社殿を再建、
明治初頭まで鎮座した。
明治6年(1873年)霧島六社権現の一つであった夷守神社を合祀した後、
夷守神社跡地に遷座し現在に至る。
御祭神
瓊々杵命(ににぎのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
鸕鷀草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
本来この社は「霧島岑神宮」と呼ばれ、本社となるところを、
明治政府により分社の霧島西神社が霧島神宮となり本社のようになってますが、
今でも霧島岑神社では六社権現の中心権現として本宮の御神体を奉斎しています。
鎮座地
宮崎県小林市細野4937
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