【鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)】吾平山陵 熊本県山鹿市
初代天皇 神武天皇の父である
鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の陵(墓)が、
熊本県山鹿市にあるそうなので行ってみました。
日本書紀(神代紀)に
「久しくして彦波瀲鵜鸂草葺不合尊(ひこなぎさうがやふきあえずのみこと)
西洲の宮に崩ず、因りて日向の吾平(あいら)の山の上(ほとり)の陵に葬る。」
とあります。
御陵は菊鹿町相良(あいら)字日向(ひむき)という所にあり、
地元で「陵(みささぎ)さん」と尊崇されている所です。
昔は「吾平(あいら)」と表記したものを
内田相良氏が「相良(あいら)」表記としたそうです。
鸕鶿草葺不合尊御陵は、
宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山にある
吾平山上陵に治定されていますが、
他に鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされ、
宮崎県西臼杵郡高千穂町の「吾平山陵」説、大分県豊後大野市傾山説などがあります。
『ウエツフミ』「竹内文献」『神伝上代天皇紀』などの
古史古伝に神武天皇以前の古代王朝、ウガヤフキアエズ王朝が記載されています。
その中でも豊後国・守護の大友能直が編纂した「ウエツフミ」には、
ウガヤ第8代女帝の墓は日向の相良にあると書かれているそうです。
熊本県山鹿市菊鹿町相良字日向
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